ロベール・アンリコ監督『追想』
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INTRODUCTION

ロミー・シュナイダーの妖艶な美しさが遺憾なく発揮された、70年代フランスを代表する愛と感動の反戦映画

第二次世界大戦時、ノルマンディー上陸作戦さなかのドイツ占領下フランスを舞台に、愛する妻子を殺された平凡な医師の凄惨な報復劇を描いた本作は、『冒険者たち』(67)のロベール・アンリコ監督による最高の復讐映画。主演は『地下鉄のザジ』(60)『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)のフィリップ・ノワレと『ルートヴィヒ/神々の黄昏』(72)『離愁』(73)のロミー・シュナイダー。その美しさで夫を魅了し優しく愛する妻を演じたロミー・シュナイダーは、円熟した演技と輝くような美貌を存分に発揮。まさに代表作の名にふさわしい作品に仕上げてみせた。夫役のフィリップ・ノワレは、悲惨な現実と甘い追想との間で彷徨う男の鬼気迫る演技を見事に演じ、フランスを代表する演技派俳優の名を確かなものにする。ふたりは本作で第1回セザール賞最優秀男優賞&女優賞を受賞、本作は作品賞も受賞した。1975年のフランス映画界を席巻した傑作映画『追想』が40年ぶりによみがえる。

凄まじい暴力描写とロマンチックな追想場面のなかで繰り広げられる、男の孤独な復讐劇

1944年、ドイツ兵たちによる陰湿なパルチザン狩りが続く占領下フランスの小都市モントーバンで、外科医のジュリアンは、美しい妻クララ、一人娘のフロランスと幸せな家庭生活を送っていた。ドイツ兵の最後の足掻きが続く中、ジュリアンは妻と娘を田舎へと疎開させるが、後日、疎開先を訪ねた彼はナチス武装親衛隊(SS)に惨殺された家族の無残な姿を目にすることになる。復讐を誓い、古いショットガンひとつで一人また一人と兵士たちを殺害していく彼の脳裏に、家族と過ごした甘く幸福な日々の記憶が次々と去来する……。爽やかなソフトタッチで描かれる愛と幸福に満ちた日々の記憶と、男の狂気にも似た憎悪の交錯。凄まじい暴力描写と鮮烈な血のイメージはあまりにも強烈だ。火炎放射器を使ったドイツ兵の残虐さと、たった一人で敵に立ち向かう主人公の無謀さは、見る者に倒錯的な興奮をもたらす。タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』(09)にも影響を与えたと言われる、アメリカ製アクション映画とは一味違うフランス流傑作バイオレンス映画。

CAST

Philippe Noiret

ジュリアン役|フィリップ・ノワレ

1930年10月1日、仏北部オー=ド=フランス地域圏ノール県のリール生まれ。父親は衣料品関連の大企業でアタッチドカラーの販売員を務めていた。一家は何度か引っ越しを繰り返した(ブローニュ=シュル=メール、ベルク、リヨン、モロッコ)のち、ミディ=ピレネー地域圏のトゥールーズに落ち着き、ノワレは同地で幼少期を過ごした(トゥールーズはノワレにとって思い入れ深い土地となり、のちに同地に家を購入して休暇中はそこで過ごし、近郊のモンレアルで馬の飼育に打ち込んでいた)。パリの高等学校に入学するが放校処分となり、1945年9月にコレージュ・ド・ジュイイに入学。素行の悪い劣等生であったが、合唱団に入って活躍した。同校在学時、教師に俳優志望であることを打ち明ける。この一件をきっかけに、同校の教師の一人で神学者のルイ・ブイエにより、ジュリアン・グリーンとマルセル・ジュアンドーを招いたうえで俳優としての能力テストがおこなわれた。結果、この二人の作家はノワレの才能を認めた。1949年、バカロレアに三度落ちた後、学業を放棄してパリにある演技教育協会(EPJD)でおこなわれていたロジェ・ブランの演劇クラスを受講。次いでレンヌにある西部演劇センターで修養し、同センターで俳優・舞台演出家・映画監督となるジャン=ピエール・ダラと出会う。

1953年、ジャン・ヴィラールおよびジェラール・フィリップを選考者とするオーディションを経て、国立民衆劇場(TNP)の一員となる。以後七年間にわたって、同劇場でさまざまな古典劇(シェイクスピア、モリエール、ボーマルシェ等)に出演、40を超える役柄を演じた。1960年に国立民衆劇場を脱退、アトリエ座でアンドレ・バルサック演出・フランソワーズ・サガン原作『スウェーデンの城』に出演。同時期にジャン=ピエール・ダラとキャバレーで現今の政治状況を風刺するコミック・デュオを組んでパフォーマンスを披露、二人はそれぞれルイ14世とジャン・ラシーヌを演じてシャルル・ドゴールやミシェル・ドブレやアンドレ・マルローをからかった。

1949年からチョイ役で三本の映画に出ていたが、初の本格的映画出演作はアニェス・ヴァルダの長編第一作『ラ・ポワント・クールト』(55、未)。同作でノワレが演じた主人公夫婦の「夫」役は当初ジョルジュ・ウィルソンが演じる予定だったが、彼が病気となったため監督のヴァルダに抜擢されたのだった。その後およそ五年間映画には出演せず、久々に出演した二本目の作品が『地下鉄のザジ』(ルイ・マル、60)。少女ザジのおじガブリエル役をコミカルに演じた。この二本の映画はしばしば「ヌーヴェル・ヴァーグ」に分類されるが、ノワレはどちらかといえばこの映画潮流からは距離を置き、彼らの前世代の監督(ジャン・ドラノワ、ルネ・クレール、ピエール・ガスパール=ユイら)の作品に、多くの場合脇役で出演していた。そのため演劇界から映画界への移行は劇的なものではなく、ゆっくりとしたものだった。そんななか、『テレーズ・デスケルー』(ジョルジュ・フランジュ、62、未)でエマニュエル・リヴァ演じるタイトルロールの夫役を演じ、ヴェネツィア映画祭最優秀男優賞を受賞。カトリーヌ・ドヌーヴと共演した喜劇『城の生活』(ジャン=ポール・ラプノー、66)でも注目を集めた。また、イヴ・ロベール監督の喜劇『ぐうたらバンザイ!』(68)で、怠け者の農夫を演じて批評家・観客双方から賞賛される。60年代半ば以降は『将軍たちの夜』(アナトール・リトヴァグ、66)、『トパーズ』(アルフレッド・ヒッチコック、69)や『マーフィの戦い』(ピーター・イェーツ、71)のような英語圏映画、『最後の晩餐』(マルコ・フェッレーリ、73)や『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ、88)や『イル・ポスティーノ』(マイケル・ラドフォード、94)といったイタリア映画にも出演、国際的に活躍した。

1960年代以降映画への出演依頼が増えていったため、演劇界から退いていたが、1997年に久しぶりに舞台に復帰。ベルトラン・ブリエ演出・ミシェル・ブーケ共演の『背肉(Les Côtelettes)』で、右寄りになりつつあることを自覚している貧乏な左翼の男を演じた。この芝居は批評家の反応は芳しくなかったものの、興行的には成功を収めた。
2006年11月23日、癌によりパリにて死去。1962年に結婚した女優モニーク・ショメットとは、生涯添い遂げた。最後の出演作は『三人の友人(3 amis)』(ミシェル・ブジュナー、07、未)。生涯で100本以上の映画に出演した。『追想』と『素顔の貴婦人』(ベルトラン・タヴェルニエ、90)でセザール賞主演男優賞を受賞している。

Romy Schneider

クララ役|ロミー・シュナイダー

1938年9月23日、オーストリアのウィーン生まれ。父方の祖母はオーストリア人の映画・舞台女優ローザ・アルバッハ・レッティ(1874年~1980年)。父も俳優ヴォルフ・アルバッハ・レッティ(1906年~1967年)。さらに母もドイツ人女優マグダ・シュナイダー(1909年~1996年)。1945年に両親が離婚した後、ロミーとその弟ヴォルフィは母マグダのもとに引き取られる。マグダは幼くして女優としてのキャリアを歩み始めたロミーの監督役も務めた。また継父である著名なレストラン経営者ハンス・ヘルベルト・ブラッツハイムもロミーのキャリアを監督した。

15歳の頃、母マグダとの共演で『白いリラの花がまた咲く頃(Wenn der weiße Flieder wieder blüht)』(ハンス・デッペ、53、未)で映画デビュー。翌年、再びマグダと共演した『女王さまはお若い』(エルンスト・マリシュカ、54)で早くも主役(ヴィクトリア女王役)を演じる。さらにその翌年の『プリンセス・シシー』(エルンスト・マリシュカ、55)がヒットし、大きな注目を集める。同作は、いずれもマリシュカ監督、指揮者カール・ベームの息子カール=ハインツ・ベームおよび母マグダ共演で『エリザベート2 若き皇后』(56、DVD発売のみ)、『エリザベート3 運命の歳月』(57、DVD発売のみ)とシリーズ化される。このシリーズで共演し続けたベームとは親友同士となった。

マグダ主演作『恋愛三昧』(マックス・オフュルス、33)のリメイクである西独=仏合作映画『恋ひとすじに』(ピエール・ガスパール=ユイ、58)に出演した際、共演者アラン・ドロンと恋に落ちる。これをきっかけにパリに移住し、1959年にドロンとの婚約を発表。フランスでキャリアを開拓しようと決意した彼女のもとに、さまざまな監督からの出演依頼が舞い込む。たとえば『審判』(オーソン・ウェルズ、62)はこの時期に出演した一本。また、ドロンを介してルキーノ・ヴィスコンティとも知り合った。そして61年、テアトル・モデルンでヴィスコンティ演出・ドロン共演の舞台──ジョン・フォード『あわれ彼女は娼婦』──に出演。翌年にも同劇場で、サッシャ・ピトエフ演出によるチェーホフ『かもめ』にアンナ役で出演。さらにオムニバス映画『ボッカチオ’70』(62)のヴィスコンティ監督篇『仕事中』に出演した。『勝利者』(カール・フォアマン、63)以降、『枢機卿』(オットー・プレミンジャー、63)、『ちょっとご主人貸して』(デイヴィッド・スウィフト、64)といったハリウッド資本の映画に出演。パリとその近郊で撮影された仏=米合作映画『何かいいことないか子猫チャン』(クライヴ・ドナー、65)にも出演するなど、短期間ながらもハリウッド映画界とも関わった。1963年にはドロンとの婚約を破棄するが、二人は生涯を通じて親友同士であり続け、『太陽が知っている』(ジャック・ドレー、69)、『暗殺者のメロディ』(ジョゼフ・ロージー、72)で共演した。

1970年代もフランスを拠点として映画に出演し続けた。なかでもクロード・ソーテの監督作には計五本──『すぎ去りし日の…』(70)、『はめる/狙われた獲物』(71、VHS発売のみ)、『夕なぎ』(72)、『ありふれた愛のストーリー』(78)など──に出演、相性の良さを示した。この時期の代表作には、『追想』のほか、『ルートヴィヒ』(ルキーノ・ヴィスコンティ、72)、『離愁』(ピエール・グラニエ=ドフェール、73)、『地獄の貴婦人』(フランシス・ジロー、74)、セザール賞最優秀女優賞を受賞した『重要なのは愛すること』(アンジェイ・ズラウスキー、74、未)等がある。『マリア・ブラウンの結婚』(79)に主演する予定だったが、監督のライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと不仲となり降板している。

ドロンと別れた後、1966年にドイツ人俳優兼監督ハリー・マイエンと結婚、男児ダヴィッド・クリストファーをもうけるが1975年に離婚。同年みずからの個人秘書を務めていたダニエル・ビアシーニと再婚、ビアシーニとの間にもうけた長女サラは長じて女優となる。ダヴィッド・クリストファーが1981年(14歳のとき)にビアシーニの両親の家で事故死(フェンスを乗り越えようとして、大腿動脈にスパイクが刺さった)して以来、アルコールに溺れるようになった。

1982年5月29日、パリのアパルトマンで死体となって発見される。アルコールと睡眠薬の併用で自殺を図ったとも考えられる状況であったが、検死の結果死因は心不全と公表された。彼女の墓(母国ドイツではなく、フランスのボワシー=サン=サヴォワールにある)にダヴィッド・クリストファーを一緒に埋葬するよう取り計らったのは、ドロンであった。最後の映画出演作は、『サン・スーシの女』(ジャック・ルーフィオ、72)

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DIRECTOR

Robert Enrico

監督・脚本|ロベール・アンリコ

1931年4月13日、仏北部オー=ド=フランス地域圏のパ=ド=カレー県リエヴァン生まれ。両親(イタリア人だった)が自転車販売店を経営していた仏南東部トゥーロンで成長期を過ごす。IDHEC(高等映画学院)で演出を学び、1951年に同校を卒業。ソルボンヌでも学んだという。その後、記録映画監督マルセル・イサック──『アルピニスト 岩壁に登る』(58)や『悲劇のアルピニスト』(70)といった山岳記録映画の監督作がわが国でも公開されている──が監督した短編記録映画で編集者や助監督を務めるようになる。イサックの監督作の製作総指揮を務めていたのが、ポール・ド・ルーベ。のちにアンリコと名コンビを組むことになる作曲家フランソワ・ド・ルーベの父である。フランソワは父が製作する映画に興味津々で、いつも現場に来ては映画作りのプロセスを見学しており、このときにアンリコと知り合った。

1956年、アンリコは監督第一作にあたる短編『ジャンヌ(Jeanne)』(未)を作り上げる。ジャンヌ・ダルクの生涯を、15世紀の写本彩画とアラン・キュニーによるテクストの朗読を用いて再構成した作品だという。そして、前述のポール・ド・ルーベの製作で短編記録映画を数本監督した後、やはりド・ルーベ製作で初の劇映画にあたるアンブローズ・ビアスの小説に基づいた短編『マネシツグミ(L'Oiseau moqueur)』(61、未)、同じくビアス原作の短編『ふくろうの河』(61)、アンリコとモーリス・ポンスのオリジナル脚本に基づく──アルジェリア戦争時代を背景に、パリの新婚夫婦を見舞う悲劇を描いた──初の長編劇映画監督作にあたる『美しき人生』(63)を監督した。このうちとりわけ『ふくろうの河』はカンヌ映画祭のパルムドールやオスカー最優秀短編映画賞を受賞するなど高く評価され、合衆国では64年にテレビ・アンソロジー・シリーズ『ミステリー・ソーン』(59~64)の一挿話として放映された。のちに『マネシツグミ』と『ふくろうの河』は、やはりビアスの小説『チカモーガの戦場で』に基づいてアンリコが監督した短編映画と抱き合わせられ、全三話のオムニバス映画『人生の只中(Au coeur de la vie)』(63、未)として公開された。

初期監督作は当時流行していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」映画とも共振する性質を備えた作風であったが、アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラとジョアンナ・シムカスが主演した華やかな冒険映画『冒険者たち』(67)以降は、スター俳優を起用したより商業的な作品も撮り始めた。以後の監督作に、『男たちの掟』(65、VHS発売のみ)、『若草の萌えるころ』(68)、『オー!』(69)、『ラムの大通り』(71)、『暗殺の詩/知りすぎた男どもは、抹殺せよ』(73、DVD発売のみ)、『二つの影の底に』(80)、『愛する者の名において』(82)、『夏に抱かれて』(87)、『サン=テグジュペリ/星空への帰還』(94、VHS発売のみ)等がある。

私生活では『美しき生活』に出演した女優リュシエンヌ・アモンと結婚するがのちに離婚、編集者兼脚本家のパトリシア・ネニと再婚した。三人いる子どものうち、ジェローム・アンリコは長じて映画監督となった。なお、ジェロームの監督第一作にあたる短編『アメリカの黒ネズミ(Le Rat noir d'Amérique)』(81、未)の製作は、ポール・ド・ルーベである。1998年より肺癌を患い、それから三年後の2001年2月23日、パリにて死去。享年69。最後の監督作は、実話(1969年、離婚した男が元妻に二人の子どもの親権を奪われるのを拒絶し、愛児と共に自宅に籠城した)に材を採った『冬のできごと(Fait d'hiver)』(99、未)

THEATER

エリア 都市 劇場名 公開日
東北 仙台市 桜井薬局セントラルホール 近日公開
関東 新宿区 新宿シネマカリテ 9/9(土)〜
柏市 キネマ旬報シアター 9/9(土)〜
中部・北陸 名古屋市 名古屋シネマテーク 近日公開
四国・中国 岡山市 シネマ・クレール 近日公開
広島市 横川シネマ 近日公開